令和7年度予算が国会本会議で可決され、高等学校の無償化が正式に進められることになりました。維新の会の提案を一部取り入れ、公立・私立を問わず就学支援金の所得制限が撤廃され、公立高校は実質的に授業料が無償となります。さらに、私立高校に対する支援も拡充され、授業料支援額は全国平均で45万7000円に引き上げられます。
この政策は教育機会の平等を掲げて進められていますが、課題も多く指摘されています。特に私立高校にまで無償化を広げることについては慎重な議論が必要です。私立高校は教育方針や運営が多様で、経営の自由度が高いため、公的支援の拡大が授業料の高騰を招く懸念があります。さらに、授業料以外にも制服代、交通費、寮費、遠征費といった費用がかかるため、支援の恩恵が実際の家計負担の軽減に直結するとは限りません。特に、無償化によって私学への進学熱が高まり、競争が激化する中で、入試対策のための塾や予備校に通う生徒も増加しています。その結果、授業料は無償であっても、進学準備にかかる費用の捻出が新たな家計負担となっており、家庭間の教育格差をむしろ拡大させるとの指摘もあります。
こうした中、私立高校による「生徒の乱獲」も懸念されます。授業料が実質無料になることで、より多くの生徒を募集しようとする私学が、学力や適性よりも経済事情を軸に生徒を取り込む恐れがあり、結果として中退や不適応が増える可能性もあります。しかも、高校では義務教育と異なり、入学後の学習支援や生活支援の責任が曖昧で、家庭との関係も弱くなりがちです。近年増えている通信制の高校などもその傾向が強くなる可能性があります。親が授業料を払わないことで、学校と家庭との接点が減り、家庭内の困難な状況が把握されないまま放置されるという副作用も指摘されています。
制度の公平性という観点からも、現在の仕組みには問題があります。支援額は学校ごとに異なるため、公立・私立間での格差が生じており、「利用券(バウチャー)」の導入を求める声もあります。家庭に一定額の補助を提供し、どの学校に通っても同額の支援が得られる仕組みにすれば、教育の機会均等と家庭の選択の自由を両立させることができます。
また、予算の原資が国民全体の税金である以上、制度の持続可能性が重要です。高校生のいる世帯だけに限定的な恩恵を与えるのではなく、同じ財源を用いて全国民に対する減税を行う方が公平であり、家計の自由度向上に資するという意見もあります。さらに、教育費は将来的に国の成長を支える投資であるという観点から、一時的な財源不足を補うために国債を活用すべきだとする主張もありますが、国債依存が財政健全性を損なうリスクも無視できません。
執行管理の面でも課題があります。就学支援金の配分が適切に行われているか、使途が教育の質の向上に直結しているかについての検証が不十分であり、不正受給や不透明な会計処理への懸念も残ります。制度の運用においては、行政の監査機能を強化し、学校の財務情報を可視化することが求められます。
加えて、地方と都市部との間に存在する教育格差も深刻です。特に離島や過疎地では、高校進学を機に中学校卒業後に地域を離れ、そのまま戻ってこない若者が多数います。無償化によって都市部の私立高校進学が促進される一方で、地元の公立高校の魅力が相対的に低下すれば、地方の人口流出がさらに進み、地域社会の衰退を加速させる結果にもなりかねません。
大阪府などでは、公立高校の定員割れが問題となっています。私学人気の高まりにより、公立校の存在感が薄れ、教育の二極化が進行しています。公立高校の教育環境改善や魅力の向上に投資せずに私学支援のみを拡充する政策は、公教育の崩壊を招くリスクをはらんでいます。
また、外国人留学生への支援のあり方も問われています。例えば、日章学園九州国際高等学校のように、在校生の大半が中国人留学生で、校内行事も中国式で行われているとされるケースに、日本の税金が投入されることの是非には、国民的な議論が必要です。
教育無償化は、学習機会の確保という点では評価されるべき側面がありますが、安易な進学が学習意欲の低下や中退を招く可能性もあり、「学ばない自由」や「進学しない選択」も尊重されるべきです。高校・大学に進学しない人にもキャリアを築ける労働環境の整備や、社会人の学び直し(リスキリング)の機会を制度として支援することこそが、真の教育政策と言えるのではないでしょうか。
無償化の是非を問うにあたり、「教育の公平性」と「財政負担」のバランス、地域間格差への対応、制度運用の透明性など、多角的に検討しなければなりません。短期的な人気取り政策に終わらせることなく、持続可能で公正な制度設計を目指すことが今後の最大の課題です。