【世界のウチナーンチュ記念館設立!に向けて】
昨日一緒に食事をした友人たちとの話の中で出た「ブラジル日本移民資料館」のウエブサイトを見てみました。
私は訪れたことはありませんが、友人の話では、言葉がわからなくても、ポイントが絞られていることがわかるとても良い施設だったということです。
今年はブラジル移民110周年、そして那覇市とサン・ビセンテ市の姉妹都市締結40周年ということで、双方の訪問団が互いに訪れるという事業がありました。
残念ながら私は行けませんでした(涙)
しかし、4年前の選挙に落選した際に「えぃ!」っと思い立ってブラジル訪問をした際にお世話になり、元気をいただいた恩返しをしたいと思っています。
向こうには守礼門を模したモニュメントもありますし「石敢當」もあります。
そして、何より沖縄・那覇に対しての気持ちがあります。
姉妹都市を締結したサン・ビセンテの伊波興祐氏のインタビューが掲載されている友人のブログです。
【ブログから以下抜粋 サン・ビセンテ伊波元市長の発言要約】
僕が市長になってやるべき事の一つ、
それは、僕はウチナーンチュの血を持つ
沖縄の子孫であるから、
この沖縄との姉妹都市締結は僕の役割だと思いました。
その当時、沖縄とブラジルを繋ぐ姉妹都市は無かったですし、
また、サンビセンテ市にも日本と絆を
結ぶような姉妹都市はありませんでした。
ブラジルでこれまで、10万人以下の人口規模の
町の長を務めた日系の人はいましたが、
10万人を超える規模の市の長を務める方はおらず、
私が初めての日系の市長となりました。
そこで、何か故郷とのパイプ作りが
出来ないかと考えたのです。
僕の故郷である名護や今帰仁ではなくて、
あえて那覇市へ姉妹都市提携をお願いしたのは、
那覇が沖縄の中心地であったから。
那覇を中心にその輪が沖縄全土に広がっていって
欲しかったから。
那覇市は沖縄で一番の都市でしょ?
ウチナーンチュとしての誇りを、
忘れずに持っていたかったんだね。
以上… 私の隣に座っている白髪のおじいちゃんが伊波氏
ということですが、今の那覇市は全くそんな思いに応えるようなことはやっていません。
かつての交換職員事業も廃止されています(おかげで私が行けたのですが)
予算の都合だそうです…
サン・ビセンテからの訪問団を案内したのは福州園、福州市と繋がりがあると強調された感じがして悲しくなったということでした。
私が旅から戻った年に「サン・ビセンテ祭り」なるイベントを企画しました。
(ちなみに、当時の那覇市の担当部からは姉妹都市は5つあるので、公平性のために補助は出来ないと言われました、ちょっと寂しかったです)
けれども、様々な方々が手弁当で参加をしてくれました。
司会も、音響も、出演も何もかも。
今でも忘れることはありません。
とても楽しい時間でした。
しかし、この一回でその後続いていないのが悔やまれます。
昨日のこの話を機会に新たに姉妹都市5市の絆を強くするための方策を考えたいと思いました。
その一つとして、「世界のウチナーンチュ記念館」を沖縄県に設置したい!という話がでました。
その場所で、南米だけでなく全世界に羽ばたいているウチナーンチュや2世3世、そして今では4世までもがいますので、ぜひその足跡を知り、これから世界に羽ばたくウチナーンチュを育成したい!沖縄にも多くの県人会がありますが、そこが共に活用できる施設であればなおよし!
飲んでる席での話なので、詳細、資金面など全く考えてませんが、かつてウチナーンチュがどんな気持ちで、どんな状況で、そしてどんな手段で海外へ出ていったか、そして今どんな活躍をしているかを県内の子どもたちが学べる場となったらいいなと思います。
ぜひ県が企画して那覇でこの施設ができたらいいな!
この企画も取り入れてもらえるようにがんばろっと!
#沖縄県知事選挙2018
#サキマ淳
#那覇市長選挙2018
#オナガ政俊