復帰50周年、どうなっている沖縄の産業構造

雨が続きますね☔️
今週は3泊4日の視察と昨日の本会議を終えての週末を迎えました。
土曜日の街頭では明日の沖縄県日本国復帰50周年に向けて、沖縄県の産業構造の課題についてお話しさせていただきました。

1972年5月15日に沖縄県は日本国へと復帰しました。1945年の敗戦後に朝鮮戦争(1950年6月25日 – 1953年7月27日)の際にはアメリカ軍他の軍事特需もあり日本国内での製造業が発展したと言われております。しかし、27年間の米国の施政下に置かれた沖縄は強いドルの元でサービス業の比重が大きい産業構造となって、それが現在に至ると言われております。製造しなくても日本から輸入し域内で販売するほうが、原材料を仕入れて製造して付加価値を付けるよりも良いという輸入型経済が1$=360円の体制で作られたと言われています。なので、復帰当時から現在まで他の都道府県と比べると、第3次産業の割合が10%ほど高い状況が続いています。
昭和47年の復帰時には全国約55%、沖縄は67%、平成30年に全国72%、沖縄81%と言う状況です。

総合事務局サイト

産業構造の移り変わりについてNHKでわかりやすいサイトがありましたNHK for school

なぜ第三次産業の割合がこんなに増えたの?~日本の資源・エネルギーと産業~

特に沖縄県の製造業は食品が4割を占めています。また、第一次産業に関わる食料自給率も大分低い状況です。令和元年で34%です。



https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/attach/pdf/zikyu_10-16.pdf

 

産業が多種多様に複雑になっていることで、これまでの区分けで良いかどうかもあります。
(区分けがわかりやすいベネッセ教育サイトの中学社会 定期テスト対策

サービス業だけではなく、商業,金融業,運輸業,情報通信業,業種も第三次産業に含まれるので、占める率が上がっていることもあるかと思います。

沖縄県でも通信環境整備でコールセンターも増えまし。通信環境が整ったことでできる業務が他にも増えてくると思われますので、第三次産業の中でもサービス業、アニメの制作などエンターテイメント関連の業務を受けることができると思います。また工業分野では設計関係業務を請け負うなどもできるようになっていますし、県内での製造開発も行われています。海洋資源開発も可能性に満ち溢れています。県の基幹産業と言われる観光以外にも産業の比重を高めていかなければならないと思います。

 復帰当時から沖縄県でも製造業の育成というものは検討されていましたが、本州・九州、他の地域からも離れているという距離的な不利性があること、つまり原材料や製品の輸送にもコストがかかるということで、なかなか育ちませんでした。とは言えども少しずつですが県内に根を生やしてきている製造業もあります。

丁度、知り合いから教えていただいた番組で沖縄県のものづくりについて紹介していました

BSTBSBizスクエア 毎週土曜 午前11時 【5/14特集】 沖縄本土復帰から50年。 先端技術でものづくりを進める企業を取材、 沖縄経済の課題と成長に向けた将来像に迫る

 航空物流ハブの設置なども行われ他の地域への輸送の日数は短縮することができていますので、例えば試作品や小さな部品などの大型ではない輸送品については沖縄県は日本の南の玄関口であり東アジア、特に東南アジアに近い場所にありますので、いままでの不利性を逆転することも可能です。

今週5月9日〜12日と長野県へ視察研修へ行ってまいりました。

その際に見学した半導体の製造装置の部品を作るニッキフロンというメーカで伺ったお話では沖縄は台湾にも近いということで、半導体の製造業関係社も立地的な注目をしているということでした。私にもこれまで製造関係の方から工業団地の土地取得についてのお問い合わせがいくつかありましたので、企業立地推進課という担当課への連絡をご案内しております。

沖縄県の今後の50年、100年に向けて産業構造改革の重要なタイミングだと思いますので、ぜひとも経済界の皆様と一緒に考えて、早い実行をできるようにがんばりたいと思います。