タイミングはこれでいいのか?

島尻安伊子参議院議員が内閣府の沖縄・北方担当大臣に就任の件について、いろんな人が賛否の意見をSNSで発信している。そこで思ったことを備忘録的に。

僕は、以前から本当に政治的な沖縄問題を解決したいなら、政府に入れる(できれば総理になれるくらいの)能力を持った人を県の“民意”で県内で圧倒的に当選させ続けることではないかと思っている。

そして「本当の革新的な意志を持っている人は保守になる」そう思っている。

中からでしか変えられないこともあると思うんだ。いくら外的に影響を与えようとも、“そこ(政府)”が変わらなければ結果変わらないから…
いくら突っ張っても、跳ね返されたらどうしようもない。
ひょっとしたら其の姿を見て何か感じる人がいたら、それはそれで結果の一つだと思うが。

人は変えれないけど、自分は変えれるって良く聞くけど、それと同じことではないだろうか。

あくまで、現在までの結果論だけど、復帰して43年もの間、保革で争って潰し合い、その変えれる場にいける人を育てられなかったことが痛いよね。

そして、育てることができなかった人が何かのきっかけで(多分)感情的になりトップとなり日本国と対立しながらでは解決はできないと思うのね。国政に参加する人もそう。地域では「民意である」と言っても、国の「民意ではない」という意見に対して、それは違うとは言えないのでは。

だって相手も感情を持って生きているから。

周りを取り込みながら、徐々に変えていかなければいけない。

今のやり方では周りを取り込むどころか離れていくようにしか見えないのは僕だけの感覚ではないと思う。

僕は「日本人」として生まれ、また「うちなーんちゅ」であり「やまとんちゅ」ではない。

此の地の特殊な情況も産まれた時から付いて回っている。

それも踏まえて、本当に子ども達のことを考えるのなら、孫達のことをいうのであれば、今、ここから始めても良いのではないかと思った、そこに必要なのは激しく怒りを持って戦うのではなく、冷静に耐えながら、機会を伺いながら、僕らが学んで、子ども達に伝えて学んでもらうこと。そこで変わってもいいじゃないか。

だからこそ、「今」このタイミングでこの仕掛たのは本当に良かったのかと考えると、「むむ…」っとしか声を出せない。

怒りのチカラは強いけど、短いし、周りの人を傷つけることが多いと思うのだよね。怒りで何か生み出すことってあまり無い気がする。。

お昼ゴハンを食べて眠気を感じながら思ったこと。