那覇市長選挙選考委員会でのスピーチ原稿

本日、令和4年8月20日16時より首里山川町のダブルツリーバイヒルトン首里城において那覇市長選挙の第三回選考委員会が開催されました。地元新聞に掲載されていた4名がそれぞれの思いの丈を選考委員の皆様の前でお話をすることになりました。

①西銘啓史郎 県議 ②新垣淑豊 ③上里正司 那覇市議 ④知念覚 那覇副市長

上記の順番で10分間のお時間をいただきました。一部個別団体の名称があるのでカット、読みきれなかった分もありますが、原稿として準備していったものです。


新垣淑豊です。

本日はこのような場を作っていただきましたこと、感謝いたします。

今回の那覇市長選挙の候補者選定にあたり、ご推薦いただきました皆様にも感謝申し上げます。

こちらにいらっしゃる皆様は日頃からお力添えをいただいていますが、改めて私の状況や政治に対する関わりや今後の那覇市についてお話させていただきます。

昭和50年生まれ、先週誕生日を迎え47歳となりました。

大学を卒業後に家業の菓子屋を継ぐためにお菓子の勉強

にフランスへの留学もさせていただきました。

家族もまさか政治の世界へ進む、それも今回のように那覇市長候補者選定へ名乗りを上げるとは思ってもいなかったと思います。

父も最初は大反対をしておりましたが、ここ1,2年はやっと諦めて、最近では表立ってではないものの、周りへ声をかけていると話も聞いております。妻もお菓子屋さんの奥さんになったはずなのにと言いながらも、陰日向となって応援をしていただいております。二人の子どもは思春期ということもあり、選挙などで連呼される名前を恥ずかしがってはいますが、私の仕事を理解してもらっています。

市長選に臨むにあたり、最終的な詰めは必要だと思いますが、しっかりと家族の応援はあると思っています。

那覇市に生まれ育ち、数年は、県外・国外へと行っておりましたが、25歳に沖縄に戻り、家業の手伝いをしておりました。

そこで、自分の仕事に加えて、地域の自治会活動を皮切りに、商店街や那覇商工会議所青年部、飲食業組合、青年会議所などのまちづくり活動などに関わるなかで、政治とは生活そのものであり、生活を良くするためには政治が良くならねばならないと感じ、8年前の2014年、仲井眞弘多知事と当時の翁長雄志那覇市長が戦った選挙の同日にあった那覇市議会の補欠選挙へと立候補しました。

しかし、結果は甘くはなく、力及ばず落選でありました。

その後、家業に戻るかどうか悩んだ時期もありましたが、多くの方のご意見、ご支援をいただき再挑戦に臨むこととなりました。

その間の2年あまりですが、福祉事業に従事することで、現場の職員の知己を得たこと、これまでの商売という目線とは異なった場所で市民生活を見ることができたことは今の議員活動をすることにおいても非常に大きな財産となっています。

2017年に本選挙で那覇市議会へと初当選し、那覇市の行政と関わり、また2020年には県議会へとフィールドを変えて今に至っています。那覇市から県全域へと活動の範囲が広がったおかげで、視野も広がりました。それぞれの地域との繋がりもできましたので、那覇だけではなく、他の県内周辺地域・市町村との連携もできると考えております。

今回の那覇市長選に名前を取り上げられたことで、まだ早いという声もいただいておりますが、期間の長短ではなく、どれだけ熱を込めた活動ができるか、ということが重要ではないかと考えていますので、候補として選定いただき、選挙を経て市長となった際にはその声を払拭できるように取り組みをしていきます。

今回の選考委員会において、条件項目があがっておりました。そのことについてお話します。

那覇市は沖縄県の146万県民の中で、人口31万人余りを占める県都として政治的にも、経済的にも県との連携は非常に重要であることに皆様も異論はないかと思います。だからこそ、今回の沖縄県知事選挙との連携は必須であると考えております。

現在、私もサキマ淳・県民の会の事務局長として詰めておりますが、沖縄県政を変えたいと、特に経済界からの声が次第に大きくなっていることを感じています。だからこそ、私はこの那覇市長選挙においても県政との連携を行い、経済政策をしっかりと議論しながら市民へと伝えていきます。

また、今回の選挙でも取り沙汰される那覇軍港の移設については推進していき、那覇の港を整備していくことが、物流、商流、すなわち沖縄県民の生活においても必要であると考えていますので、そのためには国と調整すべきことも今後山のようにでてくるであろうと考えています。だからこそ今回選挙、自民党・公明党からの推薦をいただき、取り組むべきであると考えています。

もちろん、那覇市としてはイチ地方自治体として存在しますので、那覇市としてしっかりと沖縄県に対して、そして国に対しても那覇市の立場で言うべきことは言う、対話を重視していきます。

普天間飛行場の辺野古代替施設の建設と移設については、これまで私は自民党の県議として容認の立場で活動をしてまいりました。普天間の危険性の除去を一義としているからです。那覇市の選挙でありますので、市民に対してはわざわざ自分から大きな声でお話すべきことではないと思いますが、当選後の活動にあたり市長会などの意見を述べることもあるかもしれません。その際には市民の安全を最も重要と考えた取り組みであるとして、スタンスを崩すことはいたしません。

次に那覇市に対する私のビジョンをお伝えさせていただきます。

那覇市は令和3年に100周年を迎えました。新型コロナの影響で延長となり、今年の5月に開催されましたが、記念事業の一つとして、なはーと、いわゆる市民会館において「ごちゃまぜミュージカル」という市民ミュージアムの舞台に立ちました。そこでは様々な立場の市民がお互いに関わり合い、理解し、活躍していく那覇市を描いたものでありました。

障害を持った方も、性別も、年齢も仕事も、違って当たり前、だからこそお互いを知ることが必要です。現在の那覇市、これは那覇市だけでない都市の大きな課題と言われていますが、お互いに無関心であるということです。ひょっとしたら日々の生活に追われて自分に対しても関心を持てない人も多数いるのではないでしょうか。

小さな集団単位である家族、地域、そして市域の中で多くの人との関わりをもつことが健康的な人生・生活にも結びつくという話もあります。

ハード的には今の施設を活用しながら、市民が繋がり、活き活きと活動・活躍できる那覇市を作り上げたいと考えています。

また、教育・子育てに関しては出来得る限りの支援をします。4人に一人が高齢者である本市において、今後の少子高齢化対策とくに少子化対策は最重要であると考えます。今回、サキマ淳さんが、こども子育て特区を掲げて政策を発表していますが、そのベースを活用して那覇市独自の子育て政策の充実を図って参ります。実際に兵庫県の明石市などは那覇市と同規模の中核市でありますが、児童相談所の設置を行うことや、他にも先進的な施策をしています。それ以外の地域も参考にしながら子どもの笑顔があふれる那覇市にしたいと考えています。

こども子育てからつながる、人材の育成についても手厚い体制を作る必要があります。例えば、那覇市が担当する幼児教育から小学校・中学校などのそれぞれの段階でキャリア教育体制を充実することで、お金の勉強・仕事の勉強を積み重ね、全国最悪と言われている子どもの貧困の循環を断ち切ることにもつながると思われます。また、今後、那覇市から沖縄県にとどまらずに世界を牽引する人材が誕生する可能性を高めていきたいと思います。

他にも那覇市には様々行うべきことが山盛りです。今回は時間の制限もありますので、すべてをお話することはできませんが、経済政策、都市整備、交通政策、福祉に関しても高齢者、引きこもりなどの若者世代の支援も必要です。

まだまだ、私が取り組みたいことは本当に数多くありますが、そのためには予算も必要です。まずはおのれからということで那覇市予算の整理整頓を行い、さらには県・国とも交渉しながら予算確保を進めて参ります。

最後に、今回の那覇市長選挙の選考委員会の開催がこの時期にずれてしまったことは非常に日程的に厳しいと言わざるを得ません。本来であれば早い時期に市長選挙の候補を立て、市民に対して政策の浸透をしていくことが必要であったと感じています。そうでなければ市民置き去りとして、政治に対しての関心を削いでしまうのではないかと感じています。知事に先んじて動き、那覇市から声を上げながら、市民に伝えながら、知事選も一緒になって取り組むべきであったと思います。

しかし、この先の日程も長い時間はありません。今回、候補として選ばれた際にはバランス感覚を持って、これまでの経験をフルに使って、必至の思いで10月23日の当選に向けて走ってまいります。どうかお力添えをお願いいたします。

また、22日の経済危機突破県民の会の総決起大会ではステージの上に立つ覚悟はできておりますので、ご支援よろしくお願いします。(了)