農業の可能性か…

GW、観光業界はとてもお忙しかったのではないでしょうか。

私も製造業とは言え、観光に近い者として毎年を過ごしてまいりましたが、今年はちょっと違う感じでGWを過ごしておりました。

さて、最近取り始めた月刊誌、月刊事業構想の中に、【農業を一大産業にした「沖縄産業のパイオニア」儀間真常】という記事がありました。 http://www.projectdesign.jp/201506/philosophy/002181.php

儀間真常 Wikipediaより

いわゆる琉球の五偉人の一人で、琉球王朝の産業の基礎を築いた人物である。業績は、1605年に野國總管が中国から持ち帰った蕃薯(今日でいうサツマイモ)を琉球各地に広めたほか、薩摩から木綿種を持ち帰りその栽培と木綿織りを始め、琉球絣の基礎を築いた。そして、砂糖(ただし当時の砂糖は黒砂糖を意味する)の製法を伝播せしめたことなどがある。うち砂糖は、その後の琉球の経済を支える重要産物となった。

ところで蕃薯は、のちに薩摩藩をへて日本全国へと広がっていったため、現代では名称としても「サツマイモ」としてよく知られているが、それが琉球から伝わったことや、その端緒を開いた野國總管や儀間真常の名はあまり知られていない。

以上、Wikipediaから一部抜粋 http://ja.wikipedia.org/wiki/儀間真常

ということで、琉球の産業に大いなる影響を与え、日本での飢饉での餓死者を少なくしたということでも貢献をした人物です。

この南の小さな島から外に目を向けて、農業、そこから派生する生産物を産業として拡げたうえに、沖縄だけでなく日本を救った!ことは本当に素晴らしい我々が誇れる人物です。

 

その月刊誌が届いたころ、ネットで「先日も沖縄の国家戦略特区の取り消しも」http://www.sankei.com/politics/news/150430/plt1504300003-n1.html

という記事を見ました。

観光・研究の拠点を目指すということで、平成26年5月1日付で指定されたのですが、http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/chosei/staff/kokkasenryakutokku.html 1年たっても事業計画がないということです。

観光って「地域の光を観る」ということで、沖縄の良い所を見せること、感じてもらうことで、さらに特区とは法規制を緩くして、今の沖縄の現状を良くすることで、もっともっと多くの人が観光に来ていただき、日本全国の戦略の先駆けになってくれという期待をもった指定だと把握しています。

http://www.kantei.go.jp/jp/headline/kokkasenryaku_tokku2013.html

でも、観光の切り口から「これは!」の提案がないということが現状です。

この月刊誌を見て、「取り消し」報道を受けたあと、沖縄の気候や地理的条件を考えると農業は特にその可能性が大きいのではないかと思えるようになりました。

先日、農家の友人とじっくりと話す機会をいただきました。その友人との話がきっかけです。

ローソンの飲食コーナーで二人の40のオッサン(見た目はどっちとも若いと思う、Y田さんスミマセン、一緒にしちゃって)が様々なことについて話をするのも悪くないかと思いました。

もちろん大規模な農業なんて北海道には勝てないし、九州の各県にも勝ち目はない。

でも小規模だからできること、フットワークの軽さや、先進的な事例を作り上げることで農業から繋がる観光、自然と産業のマッチングにプラス「食」本土や海外からの視察から戻った際に「食」の伝播が見込まれるんではないかなぁと。

 

沖縄でも南北でおぼろげなゾーニングがされている(私は本当はもっとガッツリとしたゾーニング必要だと思いますが)

南部は那覇を中心とした商業・工業などの消費地として、北部は畜産や栽培などの農業がまだ推進されている。

その間に繋がるもの・繋げるものが薄いのではないかという話でした。

車に乗って北端から南端まで2時間余りで着くくらいな小さな島なのに、それはもったいない。生活(商品含め)の循環含めていろいろできないかと言う話。その中で商売の話も盛り上がりました。先進として沖縄が発信できたらいいなという話になったもんで。

キラリと光る何かは実はその業界の人にとっては分かりづらいと思います。様々な職種や立場の人と話をすることで、思いもよらない結びつきがあったりするのでしょうか。

観光だけに留まらない、国の戦略の最先端として、過去の儀間真常のように、この沖縄が先見の明を持ち、日本の先駆けとして行動するべきではないかと思います。自分のところが良くなればイイ!ということでなく、日本・世界のために何をできるかを考える。地域の文化を売り込むことが観光に繋がるのではなく、我々が将来のための一筋の光を観つけることができれば自然と観に来てくれるのだろうなぁと。