祖母とお別れでした

【告別式も終わりましたので】

先週末に祖母、新垣美代子が他界しました。
昨日の告別式には多くの親族や友人、知人と私がお世話になっている方にもご参列いただきました。
お花をいただいたり、弔電をいただいた方も沢山いて、まだ直接ちゃんとお礼もお伝えできていませんが、本当にありがとうございます。また改めてお礼をお伝えいたします。
祖母は昭和4年生まれ数えで92歳、具志川の昆布という地で生まれ、手広く農業を営む両親のもとで育ち、幼いころはとても裕福だったそうです。
戦中はテニアンに行き看護師の勉強をし、戦火激しくなった時期に家族で入水自決をしようとしたところ、妹が浮かんでしまい、結果的に家族みんな命を取り留めたとのことでした。
戦後は沖縄に戻り、祖父と出会い、その家業である新垣菓子店で「一度死んだ身だから何でもできる」と懸命に働き、沖縄県の祖国復帰や海洋博を経て土産菓子としての「ちんすこう」の名を全国に広めたことに一役買った人物です。
商売人としての厳しさはあったものの、家族はもとより、社員も自分の子のように接し、社員からは「ママさん」と呼ばれていました。
そして、私が沖縄に戻りいろいろなところで「あなたのおばあちゃんにはお世話になったよ」と声をかけてくださる方も多く、仕事から退いても店に祖母を訪ねてくる方もたくさんいました。
いろんなところに連れて行ってくれ、私がやりたいことをいつでもやらせてくれる、本当に親バカならぬ祖母バカでした。
いつも最先端な買い物と、身だしなみには気を使い、綺麗な格好で、化粧しないと外出もしない。
などなど、限りが無いくらい思い出が沢山です。
写真は15年ほど前の写真ですが祖母を知る方のイメージはこの頃だろうと父と妻で選んだようです。
私のイメージもその通りです。
晩年は軽度の認知症を患っていたので、刺激しないようにと親族の他界をお知らせしていませんでした。
あの世では、先に亡くなった私の母や叔父、祖母の仲良しの従姉妹など「なんでここにいるの?」と不思議がっているかもしれませんね。
そして20年ぶりの祖父との七夕の夜の再会で沢山のお話しをしているのかと思います。
ばあちゃんありがとうねー!