第3回 首里あの町この人 こぼれ話

第3回 首里あの町この人 こぼれ話

こんにちは、事務局わたなべです。

先日よしとよ新聞第3号(TaN Vol.12)を発行いたしました。ぜひ本誌もご一読ください。さて、こちらでは、インタビューのこぼれ話をご紹介いたします。
嶺間成市さんに昔のお話をいろいろ伺いました。
紙面ではご紹介できなかった、お話をいくつかご紹介いたします。

本文はぜひ本誌でご覧ください。

『当時の空き巣対策は、、』

50年前首里に越してきた頃のお話。
当時は治安が悪く、地域で空き巣がしょっちゅうあったそうです。
そんな時の対策は、なんと
玄関のカギを開けっぱなし、玄関にに1ドル札と
『これで勘弁してください』と書かれたメモを添えたそうです。
1ドルは取られるが、カギを壊されたり、家を荒らされたりされないので
このほうがよかったそうです。
もちろん人様のものを盗むのは悪いことですが、
泥棒にも人情が感じられる、いいお話でした。

『空港建設のために立ち退き』

嶺間さんがまだ小さかった頃、軍が空港を建設するため
家を立ち退きになり、引っ越しを余儀なくされたそうです。
しかし、住む場所は変えられても、畑やそこで育っている芋までは引っ越せなかった。軍の敷地は立ち入り禁止。
そこで、嶺間さんのお父さんは、芋のつるを編んでそれをかぶり、手製のカモフラージュをしてこっそり芋の栽培を続けたそうです。
戦中のため必死だったとは思いますが、子供の頃のお話として楽しそうにお話しされていましたし、ほほえましいお話に感じました。

『10月10日空襲』

昭和19年10月10日7時30分、宮古島にて45分に及ぶ空襲があり、島の3か所の軍用飛行場からは飛び立つこともできず9機が撃破された。
当時、嶺間さんは小学1、2年生で馬に乗って、たい肥にする草刈をしていたそうです。
はじめは日本軍も演習だろうと思っていたらしく、空襲と気づかず、迎撃できなかったそうです。
2歳年下の子が腕を撃たれたということがあったそうですが、幸い弾は抜けて腕も大丈夫だったそうです。
ご自身は馬に乗って逃げたそうです。
その後のことでしょうか、空港には赤とんぼと呼ばれる、飛行機の形の張りぼてを配置していたそうです。
山に隠して、朝に飛行場に出し、アメリカをだましていたそうです。
イギリス艦隊の艦砲射撃もあったそうですが30分ほどして、宮古島には何もないとわかり終わったそうです。

戦争の体験談を直に聞けるのも、これからは貴重なことと感じました。

これからも、首里にお住いの方にインタビューしていきたいと思います。