久しぶりのBlog更新です。
すでにSNS(Facebook、Twitter)にてお知らせいたしましたが、去った2019年12月に来る2020年6月の投開票が有力視されている沖縄県議会議員選挙に向けての那覇市・南部離島区における自由民主党公認をいただきました。
選挙区は那覇市・久米島町・座間味村・渡嘉敷村・渡名喜村・粟国村・北大東村・南大東村の1市、1町、6村です。
那覇市議会議員として那覇市の課題や将来を主に考えてきましたが、やはり周辺の市町村との連携、そして何より沖縄県全体のビジョンについて、今、私達の世代として提言していかなければなりません。
特に2021年には現在の沖縄振興特別措置法も期限を迎えます。
沖縄振興計画は当初の米軍統治下にあった時代からインフラの整備を含めた本土との格差是正から、現在の自立経済の構築、そして今後はどうすれば沖縄が日本の牽引役となるのかということを考えて次の10年の計画を作って行く必要があります。
他府県から沖縄をこれ以上振興する意味があるのか?と言われるほど疲弊している地方もありますので、国としてもこれまで通りとはいかない、かなりシビアな見方をするのではないかと考えられます。
しかし、この沖縄でも所得格差や、離島間の格差なども大きく、産まれてから一生を終えるまでの間でも島嶼県ならではの課題もまだまだあります。
医療・介護の面では十分に人材を各離島に配置することもできないどころか、本島での医療人材・介護人材の確保すらままならず「県民の命を守る」ということにおいてもまだ不十分ではないでしょうか。
さらに、国を守るという面では離島の定住もしっかりと行わなければいけません。出産、子育て、教育、就労などにおいても住んでいるところの違いや親の所得の違いで差ができるのではなく、挑戦する気持ちがあれば「格差のないスタートができる環境づくり」をすることが何より必要です。
まだまだ経験も乏しい、1期目も途中なのに、など私に対しての不安を仰るかたも多くいらっしゃるのも承知しております。
しかし、この時だからこそ、この世代の政治に関わる一人として、沖縄県議会での発言をしたいと手を挙げさせていただきました。
また、私の地元である首里にも昨年2019年の10月31日に衝撃が走りました。そう、首里城正殿を含む7棟が焼失した大規模な火災です。
立候補について悩んでいた私の背中を押したのはこの火災でした。
それまでも地域の方々から首里城を取り囲む環境についての意見をいただいていました。オーバーツーリズム・観光公害という言葉が近年では定着してきましたが、首里城付近の方はこの30年もの間、実は大きく悩まされていたのです。
今回の火災は本当に悲しむべき残念なことですが、再建を国が責任をもって行うということでありますので、このタイミングだからこそ、「地域に根ざし、地域の声を県政へ反映させる」ために。それが、最後のひと押しでありました。
私達が生まれ育ったこの沖縄の大事な文化の象徴としての首里城の復興を考えた時に、今を生きる私達の世代が何を残してくのかということも考えさせられました。
家業として伝統菓子を生業として生活をしてきたものとして、「伝統」ということについてとても考えています。
伝統は統(す)べて伝えると書きます。その時のベストなものを次に伝えていくことだと思っています。
私達の最善とは何か、多くの方と語り合って、それに向かって一緒になって動いていく。
沖縄県としてこれまでの「文化を受け継ぎ、新しい文化の想像に向かっての支援」をしていく。そんな活動をしていきたいと考えています。