刑務所に入ってきました

一昨日になりますが、玉城の知念にある沖縄刑務所に行ってきました。

たまたま飛び込み営業されたのが数ヶ月前。
「簡単な名刺の印刷とか、受刑者が作業できるような仕事ないですか?」ということでした。

それでは、ということで依頼できるお仕事がありましたので、時間がかかりながらもやっとこさ先月末に契約を。
作業内容と費用的にはどっこいというところでしたが、最近は結構業務量が多く、残業時間も多かったので
パートさん達はご自宅に帰るのが遅くなってたということから導入を試験的に行うということになりました。

契約を結び、初回の納品に行ったのですが、
まず、事務所で携帯電話やタバコ、ライター、ジュースは車内に置かないようにと注意を受けました。
特に携帯は事務所に置くようにとのこと。

それから中に入って行きます。
5メーターほどある塀についた扉を開き車内の点検を受けた後、
中にあるフェンス状の有刺鉄線の着いた扉を開けます。
そしてオートロックの重量感のあるドアを3つ開き作業場に。
受刑者との話はダメですと言われ、緊張しながら中に入りました。
綺麗な作業場で黙々と業務をこなす人々。

私たちの日常とはかけ離れた空間。
でも、中の人は僕らと同じ人なんだと感じましたが、なんとも言えない気がします。

納品の前後でいろいろ説明を受けましたが、屋根がある、週休2日、三食付き、毎日の運動と仕事がある。
そんなこと聞くと管理はされているものの、今の世の中で考えるとスゴい健康的でイイ暮らしと言えるのでは?
全国にはたびたび犯罪を犯して戻る受刑者もいるという話も聞いたこともあり、なんだか考えさせられた一日でした。

いつ何時、どんな理由で罪を犯すかわからない。
でも、普段から襟を正した生活をしておくこと、自らを律することって大事だと痛感。
ま、できてませんが(笑)

お初ですので緊張しました。

昨日は会議が終わり5時前から懇親会、とはいうものの開いている店もなく団体メンバーの店を強引に開けていただきました。ありがとうございました。

その後、知人の店に顔を出したところ、先輩達に遭遇し、さっさと帰る予定が結局深夜2時帰宅。

 

眠い目を擦りながらも6時起床で今朝は那覇市長選挙の現職の出陣式の中で青年代表ということでご挨拶をさせていただきました。

ご指名いただいて数日、車の中で練習したものの、言いたいことは3分の2ほどしか言えず・・・緊張しましたよ、はい。

ただし、ハイサイからの自己紹介の件は上手くいきました。

とてもよかったです。

 

言いたかったことは、2点に絞ってたのにな。

①ハイサイ、ハイタイ運動から、伝統文化歴史を大事にするということは、伝統を作った先達を大切にする、すなわち家族を大事にすることに繋がる。

伝統とはその時の一番のものを次に伝える。今、一番は誰かということを問いかけ。そのことが文化、歴史を作って行くのだということを言い、

この4年の一歩目のスタート、これがブレると20年先の我々の将来、子供達の未来が大きく狂うということを言う。

 

②改革、革新(イノベーション)は過去を否定するわけでなく、過去を鑑みて未来を作り上げること、ステージを変えて行くこと。

現職にはこれができる過去の実績とアイディアがある。

特に我々青年層はそのアイディアを出して行くこと、市長の想いに我々の情熱を加えてまちづくりをしていこうということを呼びかける。

 

文章で書くと結構すっきりまとまるのに、あれだけの人の前でしゃべるのはホント緊張してしまいました。

いや、これも訓練がまだまだ足りない。

 

さて、この一週間しっかりと汗をかき、選挙協力していこうと思います。

選挙は権利でなく義務だと思っていただかないといけません。

棄権は意志を表していると思う方、それは違います。

忘れてても、わざと行かなくても、棄権(無投票)です。

行って白票を入れることが意志表示!

我々の将来について考えて、意志を表すことができるのは選挙なんですよ。

 

もちろん、私の応援候補に投票いただくことが最も大事なのですが。

仲井眞知事と
明日は行けませんが、明後日から数日はお手ふり行きます。

安里交差点で見かけたら軽くクラクションでも鳴らしていただけると嬉しいです。

ただし、激しいのはやめてくださいね(笑)さてがんばります。

明日から久々に電話かかる方ご容赦くださいませ。

 

四捨五入で40歳…

備忘録として。

今週は水〜木曜日、菓業に関わるメンバーとの交流
金曜日、商談➕急遽の飲み会でいろんな人と会う
土曜日、大学の剣道部同期の結婚披露パーチー➕商工会議所青年部の今シーズン最後のブロック大会(関東)
で、今は帰宅の途であります。
結構充実というかハードと言うか…
でもホントに得るものの多い週でした。
学んだもの、以下。

組織の長としての心構え、心意気。

見た目による周りの反応。

タイミングと出会う人、そして覚悟をもって何かを成し遂げようとする時に共に協力しあう人との関係作りの重要性。

一番を目指す負けん気と、そこに向かう努力と環境大切さ。

精一杯やった後の達成感と、ほんの少し休息で次の目標に向かう姿勢。

その中で、とても心に残ってるのが披露パーチーで、挨拶で友人代表が「四捨五入するともう40歳、辞書には初老と書いてあった」と冗談で言ってました。(今は60歳くらいと思う方が多いようですが)
でもドキリとさせられた。
立ち止まってる時間は、あまりないなぁ…たまにはアタマを整理することは必要だけど。
まだまだ学ぶ、出会う、行動する。

さて、これから戻って産業祭り、打ち合わせなどなど、沖縄を離れてる分、いる時に詰めなきゃいけないが、それだけ力になるのだろうと信じてがんばろー

80歳になりました

広島より戻って参りました。

竹原という街は「こじんまりとしとるが、ぶちええまちじゃったのぉ」て感じ。

影響されやすい私です。

 

さて、一日遅くなってしまいましたが、昨日10月20日は新垣菓子店の80年目の創業記念日でした。

私の曾祖父が暖簾分けで那覇市久米で開業したのが昭和7年のこの日、それから80年が過ぎました。

 

この80年の間には沖縄は大東亜戦争、終戦後のアメリカの統治を経ての日本復帰、そして海洋博から始まる沖縄県への観光。

などを新垣菓子店は経験しております。

(ちなみに今年は沖縄県の日本復帰から40周年ということですが、10年単位で重なっているので覚えやすい)

那覇市久米での創業から牧志への移動、そして首里寒川へ移動した後、南城市への工場移設などの変化もありました。

時代の変化と合わせて少しずつ会社の中身も商品も変わってきたことがこの80年に繋がっているのだと感じています。

 

あと20年後、100周年を迎える時には私も六十歳手前です。

私はどんなに生きてもあと60年(結構長いな)、その後も会社は続いていきます。

そのためには弊社に関わる社員が繋いで行くことを意識していかないとね。

 

情報を武器にスピードをもって変わって行く。

ただし、変えてはいけないことは、お客様のため、社員のため、地域のために、「美味しいお菓子を作り、幸せな生活を創る」こと。

改めてこの日を迎えて心に刻もうと思います。

 

私ができることはどんなコトだろう??

 

これからも皆様、新垣菓子店をよろしくお願いします。

不満はエネルギーになりうる

最近、ブログやFBをほとんどアップしてません。

久々のブログアップです。

特に何もないってわけではないのですが、ちょっとまとめる時間を作ってませんでした。

そこで、やはりまとめる時間て大事だなと痛感しております。

日々に追われるとそれなりに瞬発力はつきますが。

 

さて、実は私は那覇市の公職を2つほどもたせていただいてます。

それぞれ年間2〜3回の2〜3時間程度。

普段はなかなか接することのできない方々と話をする良い機会をもらってます。

帰り際の雑談の中で大学の先生とのやりとりがありました。

企業はどんな人を望んでいるのかを時間を作って話して欲しいということでした。

はい喜んでと二つ返事でお応えしました。

確かに、私たち企業側と学校や学生、生徒との間での需要と供給にズレが出ているのは否めません。

業務とそれに対する年齢やスキル、中途採用の時もそうです。

それを是正するには話し合いをしないといけないのですが、なかなかそんな時間を取れる人は少ない。

私の環境はとてもありがたいとも思ってます。

なので少しでもお役に立てればとも。

 

そしてこんなズレはもちろん他方面でもあります。

夫婦、家族間でもありますね・・・ま、置いといて。

他にも行政の政策の中でドンぴしゃってことも(私的にはたまに)ありますが、えー、そんな〜ってこともあります。

 

資金繰り、人の手当、そして他の制度についても地方の小さな企業の経営を見ている者として現状を話できればいいなと。

5%の消費税の値上げ・・ある企業は何銭の世界で戦っているのに、ポーンと5%アップします、以上!って感じ。

また、訳の分からない2重の負担を強いられてることもありますし。

例えばもとの原料を作る方にも負担、それを使って作る方にも負担させちゃう、それはひいてはお客様にも負担になっちゃうこともある。

 

他にも本当にそれって必要なの?って感じることも多い。

あぁ・・・ここじゃ言えないことも(笑)

 

不満はエネルギーになりうる。

このエネルギーを良い方向に向けたいと考えております。

 

欲望って大事ですね。

昨日は松下政経塾を立ち上げに関わったという上甲さんの講演会。

ふ〜ん、この人たちが今の政権を作っちゃった訳ねなどと斜に構えて聞いておりました。

でも終わってみると松下幸之助翁の薫陶を受けたという実例などもあり最後まで面白く聞くことができました。。

 

最近の日本の若者には目ヂカラが無い、目ヂカラとは未来に対する意志と満足感によって違うらしいと昨日の講演で聞きまして、そうか、満足しちゃいけないんだともっと欲張ってみようと思いました。

たしかにアレが欲しい、こうしたい、などということは目標につながるし、目標ないところには向いて進めないということですね。

 

また、1次情報の大事さというものも再認識しました。

過去に弁当を準備するという役目の時に、

松「美味しそうだな」

上「美味しいと思います」

松「思う?食べてないの?なんで大事なお客様に出す物を食べてないんだ!」

と激怒されたとのこと。

食べてれば、本当に体験してれば自信をもって出せるし、ちゃんと責任を取れる。

という話を聞いて反省。

たしかに、最近はPCの前で済ませていることが多い。

やっぱり街にでて、見て、聞いて、話して、触ってということをせねば。

 

あ、そういえば聞くということについても話しされてた。

口は一つ、耳は二つ、なのに弁論部や話し方教室はあれど、拝聴部や聞き方教室ってない。

たしかにそうだ。

聞いてあげるだけで解決することもあるのに、足りてないとこれまた反省。

いや、反省ばかりだ。。。

備忘録として。

数字のマジック

会社の資産の中にある現金以外のものってお金にならないことがあります。

例えば売掛金、不動産などなど...なのでいくら資産をもっていようがぶっ倒れるときは倒れます。

なので、数字は嘘をつかないけど、詐欺師は数字を上手に使うということを知り合いの公認会計士さんがセミナーでいっておりました。

たしかに、と納得してその裏側にあるものを読み解く努力をせねばならないと。

人の話もそうであると思います。

この人がこう言ったから、と額面通りに受け止めると痛い目をみることもあれば、意外と反対で褒められることもあります。

気をつけないといけませんね。

 

さて、新聞の一面を賑わすオスプレイ問題。

本当に事故率って高いんでしょうか?

海兵隊の平均の事故率と比べたら少し低いような・・・

今のCH46(でしたっけ)と比べるとどうなるんですかね?

20年ほど前に作られて修理部品も無いヘリ・・・それが飛ぶだけでぞっとする。

 

私も今回の配備に関しては段階を踏んでいないことについて政府に対して、米軍に対して非常にイラっとしますが。

実は反対運動をしている多くの人にたいしてもそうです。

もちろん一部は真剣にいろいろ考えた末に出した結果と見えるかたもいます。

でも多くの人は単純に反対しているだけのように見えますがどうでしょ。

今後はどうなるのか?本当にどうしたら良いのかを考えて行動しているのでしょうか?

私は常々会社の社員に対して不平不満を言うのは良いが、それなら代替の案を出せといいます。

その代替の案、現状に即した案を出すためには学ばねばならない、今、そしてこれからについて深く思慮しないといけない。

そのように痛切に感じます。

 

しかし、外交の状況も良いとは言えず、彼の国の方々が攻め入って来たときには反対運動をするのでしょうか?

今は、凧や風船を上げたとき、それが原因で何かあったらどうするのかな?仮にも事故が起きたら責任とってくれるのかな?それも米軍のせい?

なんか短絡的にやってる気がするのは私だけでしょうか?

 

世界は数字だけで動くわけでなく感情で多くが動く、それは政治も経済も、日常の生活もそうかもしれない。

でも感情だけで物事を言っていると前に進まないのも事実です。

妥協点、終着点を見つけてそこに向けて行くことも必要ではないでしょうか。

なんかそんな気がします。

やらないとわかんないよね

年度も下半期に入りやることが盛り沢山。

それも結構難しい案件が...

ま、それを越えると自分のスキルも会社の力もつくのだということでがんばろう。

 

さて、最近は想いもそうですが、業務も共有というのは、そう簡単ではないということを実感しております。

なもんで、いろんなセミナーや商談などにも最近は複数名で行くことにしております。

そうすることで雰囲気の共有もできるし相手の顔色もわかる、そして宿題もその場で伝えることができる。

また、その場の雰囲気がわかると提案も出てくる。

なので本当に百聞は一見に如かずという言葉が本当に身にしみております。

あと、聞き伝えもちょっと難しいので、私の声で直接伝える機会も増やして行こうと考えてます。

私自身、社員に対し伝え方を意識して話していますが、なかなかできないことも多いのですが、それを意識していない社員はもっとできないはず。

もちろん伝えることは難しいということを意識して、話のスキルを上げてもらうことも大切ですが。

 

それもこれも昨年から先輩に百回(は大げさかもしれない)も、言われに言われて実際にやってみた結果。

やっぱり体験すること、試してみるって大事ですね。

やってみてダメなら戻せば良い。

つくづく感じます。

 

そう言えば、時間を作って一度は普天間基地に行ってみようと思います。

また、久しぶりに辺野古へもいってみよう。

最近はメディアからの2次情報しかないので体感してみよっと。

でなきゃ自分の意見もなかなか言えないしな。

飛んだってよ

九州は長崎県大村で行われた日本商工会議所青年部九州ブロック大村STAGEを終えて沖縄に戻ってまいリました。

感動で涙が出そうでしたが、それは3月まで取っておきます。

 

式典もスゴく良かった、懇親会も良かった、そして記念講演会も。

他にも沢山あったのですが、全てを回りきることもできず、残念でした。

 

いろいろありましたが、ここでは記念講演会でのハウステンボス社長(HIS会長)でもある澤田社長の話について。

とても楽しく本当に実になる話を聞かせていただきました。

人生は運が99%!って・・・え!それじゃ、あんまり頑張れないじゃないですか・・・というふうに始まったこの講演ですが、

夢を叶えるためにどんなことをするか、そして赤字の会社が良くなるにはどうしたかなど、とてもわかりやすい講演でした。

前の日に飲み過ぎて寝不足だったのにも関わらず全然眠くなることもなく。

 

情報とスピードそして変化すること。

明るく綺麗にそして効率と品質を両立させること!

どんな企業にも当てはまることでしょう。

スカイマークを飛ばした時の話で、飛行機が飛ぶようにイメージをしてそれを疑わず信じるということ。

シンプルな夢、目標を作ると皆がイメージしやすいということ。

 

まだまだやること沢山ですね。

会社、団体、地域、県、国と皆がより良いイメージをすることが大切なんだということ改めて感じました。

そう言えば今日オスプレイが普天間飛行場に飛んできました。

でも、このオスプレイが飛ぶというイメージ・・・はなされてたんでしょうかね??

配備に関しては善し悪しの議論がされて然るべきだと思います。

無条件、無議論で賛成や反対はありえない。

配備に反対ありきではない、本当に今の配備のままでいいのか?そっちが事故る可能性高いじゃないか!

いや、なにがあってもダメだ!

なんてことを喧々諤々議論しないといけない。

(ま、どっちも平行線をたどると思いますが)

でも議論や民間の意見をすっとばしての配備をするのはいかがなものか?

 

本日、野田第3次改造内閣が発表されていました。

新しい閣僚の皆様(もちろん留任の方も含め)には本当に考えてもらいたい。

あなたが望んだ日本国のあり方、イメージってこれでいいんですか?

早いなぁ・・・早すぎます

年初に初めてお会いして、一緒に酒を酌み交わし、いろいろと話を重ねた先輩が昨日お亡くなりになりました。

40代の本当に人生働き盛り、また花盛りという歳です。

 

そして私の祖父の姉である大叔母も90歳を過ぎた歳で、昨日亡くなりました。

 

改めて感じたことは自分の「やるべきこと」「やりたいこと」「やりたくないこと」をしっかりと考えるということ。

それで行動しようと。

 

一昨日、町内の敬老会にご挨拶に行くことになり、その時に先輩(43歳)とのお話の中で

「敬老会って何歳からなの??」

「40年後オレらはあの舞台で歌ってるのかな?その時ボクは77歳、先輩は83歳ですね」

「それまでにこの敬老会って続いてるのかな?」

「あと何年生きられるかな?_」

なんてことを冗談まじりで話した後のこと。

 

なんだか切なくなってきて、ちょっと落ち込んでおります。

 

今日という日は、あの人が生きたかった日なんだよ。

と最近、誰かの書いた文書で目にしました。

 

周りの人が亡くなるたびに、これまで私の近しい人で亡くなった人のことを思い出します。

こうしておけば良かったという、後悔しない生き方、後悔しない人との交わりができるようにしたいと思いました。

私は本当にそんな生き方、人との交わりが今少しでもできているのだろうか・・・。

 

ご冥福をお祈りします。