明日は研修最終日、今日は街に降りることもなく、山の中にこもって読書やら、いろいろと考えのまとめをしたりとのんびり過ごしております。こんな時間は必要だと思います。
さて、おカネについて少しばかり。
カイジで利根川さんが「金は命より重い…」と言っておりましたが、それにも関わるかな。
SNSでどなたかの投稿で、おカネを使うということは、そのカネを稼いでいる時間を使うということであると。確かに人生の大半の時間をおカネを稼ぐのに使っているんだよなぁ。
また丁度、別の人の投稿で時間ムダに過ごすということは、単に時間を使っているという感覚ではダメだ。その時間というのは命である、このブログを書いている間にも、刻一刻と時は過ぎて、私の年齢(40歳)の平均余命約40年を少しずつ減らしていってるのだよなと。
だからこそ、おカネを使うことは命を使うことと同じ、おカネ=命といっても過言ではないということで、その使い方というのは本当に考える必要があるのでは。
この研修中に読んだ【ニッポンの貧困〜必要なのは「慈善」より「投資」〜】という日経BP社発刊 http://www.amazon.co.jp/ニッポンの貧困-必要なのは「慈善」より「投-資」-中川雅之/dp/4822279219 の中にもゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントの社長の話で「5,000円」という金額も使い方によって価値が変わるということを言っている。
(http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278874/082400007/?rt=nocnt こっちも日経ビジネスオンラインのバックナンバーで読めるかな)
また、児童養護施設や貧困家庭の子どもたちが選択の余地のない「仕方なく何かをする」ではなく「自分で選ぶ」というモチベーションが生まれ、自分の道を切り開くチカラが湧いてくるのではないかとあった。
このように民間の持つ感覚やチカラというのがおカネに乗って広がっていくようになればいいと思う。
生活保護費の増加が問題と言われているが、20歳から65歳まで生活保護の付与をすると今の基準だと5,000〜6,000万円ほどの税が用いられる。しかし、これが納税ができるような情況になれば程度の差はあれ2,400〜5,000万ほどの納税をすることができるようになるそうです。
企業や地域がおカネや人的資源(その人のスキルや時間)をかけることでがそのための「社会的投資」を重ねることで「貧困の連鎖」ではなく「希望の連鎖」を作ることができるんだということを改めて感じた次第です。
おカネと自分の時間を使うことの大切さを改めて考えさせられた数日でした。そして写真はなぜかドル$$