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8月臨時議会 予算決算常任委員会にて
【残念なご報告】
昨日の那覇市議会予算決算常任委員会において新市民会館の建設費増額13億円が可決されました…
答弁の内容で、今後の増額も可能性としてはある。
一括交付金(国庫補助)で8割確保する予定でした。現在は4割に満たない金額となっていますが、8割に届けるのは難しい。
市債(長く使う施設なので市民に均等な負担を依頼するための借金)が80億円←もとの予定は25億からの増
何より5年前に建設費95億と予想が129億円(総額153億円、一銀線の工事まであわせると200億円を超える)となったことが市民に一切説明されず、市議会への説明で済んでいるということでおざなりにされたこと。
我々の立場からの質疑に対して共産党議員からは「議会説明されている、何のための間接民主主義だ?」とのヤジも飛ぶ…本当にそれでいいのか?と感じています。
我々も伝えたい、周りへも伝えている。
でも残念ながら市からの広報などは我々以上の伝達力がある。
だからこそきちんとやらねばならない!!
一括交付金の期限がある、会館が使えなくて困っている人がいる
そのことは理解してはいますが、今後の市立病院の移設など含め、那覇の予算はかなり厳しい…
那覇市は現在積立金が150億円ほど
借金は1300億円強(今回でまた増えます)
こんな使い方には理解納得できるはずはなく、最後の最後まで何とか粘りたい!
那覇市民の皆様の声をもっと大きくあげていただくことが、我々議員を行政を動かす力となります。
そして、またおおもととなる計画を立てるのは行政職員です。
その長としての市長が変わることでこのような税の使い方は変わります。
PFI、PPP、ECIなど公共の建設費を抑えることは可能です。
それをすればもっと市民のためにお金を使える。
10月21日には那覇市長選挙があります。
これまで市民のために何をしてきたか、市政として何をこれから成そうとしてるのか、ぜひ市民の皆様には興味を持っていただきたい。
そうお願いします!
一般質問その2 のうれんプラザ、ワンストップサービスについて
そろそろ、6月議会が目前になってきたので、慌てて2月議会の件アップします。
のうれんプラザ、昨年の10月末にオープンしました。
農連市場の老朽化と近隣の防災を合わせて農連市場地区防災街区整備事業によって「のうれんプラザ」を始めとして、学校や分譲住宅、市営住宅、保育園などの整備が行われています。
かつての農連市場の様子とは変わった様子に楽しんでいる方々もいらっしゃいます。
しかし利用者からは営業時間がまちまちで、シャッターが閉まっている店もあり、営業状況がわかりづらい。
店子の皆様からは期待していた人の入りが無いので売上が厳しいという意見が多く聞こえます。
周辺には県所有の土地があり、観光バスの乗降場が整備できれば人の流れは変わるのではないかと言う期待と、市内の乗降場周辺での交通トラブルの問題を少しでも緩和できるのではないかという意見があります。
このままでは、書き入れ時の夏場を目前に撤退する店舗も出てくる可能性があります。
事業者の魅力ある店舗づくりと合わせて行政もどんどんと動かないとムダな箱物になってしまう可能性オオアリです!
私は基本的には民間ができることは民間に、そして商工業に関しては規制緩和と民業支援を中心にして、極力は行政の直接的な関わりを無くすことが良いと考えています。
担当は2〜3年に一度は変わるので、長年の間専門的に仕事している人とは知識量も人的資源との繋がりも違います。
民間の意見をしっかりと取り入れながら大きな視点と素早い動きで関わっていけたらと思います。
そして、ワンストップサービスについても質問をさせていただきました。
今年の1月に義父が他界した際に妻が悲しむ間もなく慌ただしく申請手続きをしているのを見て、このような手続きがマイナンバーを利用すること、窓口でワンストップでできればと感じました。
実際に大分県の別府市では「おくやみコーナー」なるワンストップサービスを展開しています。
総合窓口の隣りにある受付での申請をすることで、関係部署での情報共有をする。
手帳の返却などを一手に行うなどで、それぞれの窓口で職員を呼び出す必要もなく、毎回名前を申請書に記入する必要もありません。
このように市民の負担を減らすことは、いずれ職員負担の軽減にも繋がります。
全庁をあげてこのような行政改革の先進事例を作ることが那覇市の存在感を強めていくことに繋がると思います。
例えば、地域清掃をする際に、ゴミ袋をもらう課と収集を依頼する課が違います…なんだそりゃですよ。
一箇所でできれば楽なのに!
なんてことがあれば、どしどしご意見下さい。
一般質問 その1 市長は東京で何をしてるのだろう?
※写真は文章とは全く関係ございません。
松山にある友人宅の近所で飼い山羊がおりました…別の山羊もいるようで、子どもに聞いたら、まだ食べてないとのことでした(笑)
さて、ここから本文
先月は代表質問について投稿しましたが、月末〜月初のバタバタで遅くなりましたが、今回からは一般質問についてです。
各市町村長は自治体の事業に関しての関連省庁(例えば商店街だったら経済産業省や中小企業庁)へ行って担当の意見交換や要望をお伝えして我がまちの理想の実現に向けて動いています。
「現市長はその活動が足りないのではないか?という声が聞こえます」
と12月定例会で指摘をしたところ、要請活動をなさったようです。
早速の対応にありがたいと思う反面、我々が指摘しなくてもすべきであるという思いもあります。
150億をかける新文化芸術発信拠点施設の予算では、一括交付金が少なくなったからということで市債(市の借金)が増え、市が独自で使える予算(例えば福祉や教育、公園の整備)からの負担も増える見込みです(参照Blog)
しっかりとした予算確保も首長の役割であります。
実際に沖縄市では170億の規模と言われる1万人規模のアリーナ建設にかけては現市長が何度も足を運び、担当との交渉を行っているとの話も聞いております。
そのアリーナの建設と同じように新文化芸術発信拠点施設の建設が地域益となると言うのであれば、それはきっちりとせねばいけないことです。
今回のスケジュールでの要請の反応は早くとも補正予算、普通なら来年度の予算にしか反映されません。
市長には会社の代表と同じく、資金の確保についての重要さを知り、必死さをもって臨んでいただきたいものです!
那覇市議会2月定例会 代表質問その3
雨ですね…
先日は西表で震度5弱の地震、各地で竜巻注意報など災害はいつ起こるかわかりません。そんな時には家族、近所などの連携が大切です。
万が一の際には逃げ場を決めておく、何があってもさっさと逃げるなど家族や地域での共有をしておくことが大切です。
さて、12月議会で質問した那覇市立城西小学校の体育館がいよいよ完成しました。
遺跡の発掘や周辺の安全確保で長引きました。
デザインはモダンな感じですが、使い勝手についてはすでに様々な意見が出ております。
学校施設はデザインよりも使う児童生徒や先生方の意見をもっと取り入れたほうがよいと思います。
今後の学校施設の建設では考えていただきたいものです。
さて、代表質問で上げた5番目から
⑤自衛隊と那覇軍港(正式には那覇港湾施設)についての見解です。
施政方針に「安全保障を米国に委ねる我が国において、日米安全保障体制の維持に伴う負担は、国民すべてが等しく負わなければなりません。」と記載されていました。
それではこの那覇にも基地をもち、現在も様々な国の思惑に対応している自衛隊について失礼ではないか?ということで自衛隊についての見解、そして現市長は自衛隊は容認の立場であり、救助活動含めた自衛隊活動には尊敬の念をいただいているということをお答えいただきました。
軍港移設については協議中ということでしたが、すでに返還についての話が出てから40年以上が経ち、移設先が決まらないと返還はない。であるならば、知事と浦添市長との3者会合を積み重ねていただきたい、この那覇市内の狭隘性という欠点に対して可能性を秘めている場所だから。
ひょっとしたら将来的に奥武山公園でのスポーツコンベンション含むMICE事業も可能性としては無きにしもあらず。ただし、決まってから15年はかかるので、早急に意思決定と実行に向けて動かねばならないということで質問をしました。
本気で動けば事態はもっと変わっていくのにと、じれったい思いをするような答弁で、ありましたことは残念でした。あと何年、この状態が続くのか…
⑥中心市街地の活性について、どのような合意形成がなされているのかを聞きました。
いろいろな事業が同時期に予定され非常に中心市街地でお住いの人、事業をしている人たちは心配をしています。
本当にちゃんと話し合いができているのかが気がかりです。
意見交換ではなく、確定事項の説明通達になっているという意見も聞きますので、今後の那覇市の方向性、ビジョン、事業についての説明と意見の徴収がもっと必要ではないかと感じています。
こちらの答弁はなんだか軽い感じでいなされた気がしております。
市の担当部署ができないのであれば、我々がしっかり地域住民や関係者との話を積み重ねて、担当部署へ伝えていくことも大切であると感じます。
地域の声を届けるという議会人としての役割を担っておりますので、皆様に納得していただけるような動きをしていきます。
次の登校からは一般質問へと移ってきます。
那覇市議会2月定例会 代表質問その2
議会中にも様々な方が会派室にお越しになります。
講演会のご案内にお越しになった知人とパチリ!
「海底資源と沖縄の未来」というタイトルでの講演
周りを海に囲まれる沖縄のアチコチに資源があると思うとゾクゾク・ワクワクしますね。
2018年3月16日(金)16時〜
パレット市民劇場にて事前予約制
さて、代表質問その2です。
私どもが問題としている「新文化芸術発信拠点施設」について
この議会前に3つの団体から陳情(市への要望)が上がってます。
①市民会館がなくて困ってるから早く建てて!(とはいっても場所は決まってない)
②市民に対してちゃんと説明されていないから、もう一度検討し直し含めて考えて説明して!
③同時にいろんな事業が重なるから渋滞など困るから場所の選定含めもう一度考えて!
そして、新たに
④交通の便がいいからこっちに早く建てて!
という陳情まで上がり、混迷の一途を辿っています。
この事業に対して、
平成22年までは1000席の50億円程度
の事業という認識でした。
そのための積立も始まりました。
しかし、平成24年に沖縄振興特別推進交付金、いわゆる一括交付金がスタート
そこで、「ひょっとしたらこれ、市民会館に使える!」ということでスケール&グレードアップ
平成27年には95億円
(建物のみ1600席+800席)という金額が打ち出されました。
その後、周辺の道路整備までしないとね!ということで
平成28年には128億、平成29年度(現在)144億
となっております。
内訳は広報なは市民の友、12月定例会の自民党会派の代表質問に対して → 平成30年度〜32年度実施計画(担当課による3年計画をとりまとめて査定して10月に策定)
99億が一括交付金 → 44億
24億が地方債(特別な用途の借金) → 60億
4.9億が一般財源(市が独自で使えるおカネ) → 24億
となりました。
この議会では市民の皆様にもわかりやすく、住宅ローンのような金額でご説明をさせていただきました。
母:あなたの家は古くなって地震があったら壊れそうだね。土地があるから、新しくおうち作りなさい、知り合いの設計士さんに聞いたら1300万で建てられるみたいだから、お父さんが1000万出すって言ってるさ、自分で50万くらいは頭金で出せるでしょ?そしたら250万は銀行が貸すから大丈夫よね?
子:うん!それだったら大丈夫!
そして1年後…
母:おうちの件進んでるね?
子:うん!もう設計士さんとも詳しい話をしてやがて図面も仕上がるよ。
母:あい…実はお父さんあてにしてたおカネが入らなくて、1000万出すっていったけど450万しか出せんさ、銀行の人が600万くらいに借り入れは増やせるって言ってるから、250万は自分で準備できんね?
子:は?僕の借金は600万に増えるってこと?頭金は今はなんとか払えるけど…オリンピック景気で、建設費が80万いやもっと増えるかもっていうし、じいちゃん、ばあちゃんの介護の費用や、子どもの保育園のお金とかから使わないといけないかも…収入は増えるかわからんから…
という人から家を作ったほうがいいかどうか相談を受けた時に、市長はどのようにお答えになりますか?
と、質問したところ、企画財務部長から、必要なものはいろんな方策を立てて建てる!万策尽きたら見送るのも選択肢の一つである、と返事をいただきました。
さて、那覇市民の皆様はいかがでしょう?
公園の遊具の補修は?これまでの公共施設の整備は?と担当課に依頼にいくと
「予算が・・・」
と言われます。
そんな状況の那覇市に建設費用の自費負担が増える、そして運営費の負担がこれまでの倍以上…
気になりませんか?
ということで、本日はとても大きな問題なので、一項目だけとなりましたが、のこりの2つ、自衛隊と軍港についての市長見解と中心市街地の住民、商店街のみなさまとの合意形成については、その3にて。
よろしくお願いします。
那覇市議会2月定例議会代表質問その1
那覇市議会2月定例議会の質問の様子です。
代表質問の内容から書いていきます。
今回は市長の施政方針からいくつか質問をいたしました。
①那覇市は市民の協働が大事だよ〜
と申しておりますが、私の住んでいるところの自治会や「小学校区まちづくり協議会※1」
ではなかなか職員の顔が見えません!
まずは、市民の自治会の参加率はどの程度か?まちづくり協働推進課の職員に聞いてみた所
なんと!
約17%!!!危機的な状況かと…
では、市役所の職員の参加率は?と聞いた所
平成21年の調査を行って、回答率2割、そして約40%の参加率ということでした。
ん??ひょっとして無回答の8割の中で入ってないからバツが悪いので…という人も無きにしもあらずか??
市民の皆様に対して協働というのであれば市役所職員が率先して取り組まなければならないと感じています、改めての調査を依頼いたしました。
②現市長は2丁目1番地ということで、経済政策を訴えております。
ということで、何が課題なのか?そこからがスタートではないかと思っております。
施政方針には「雇用を推進する」という文言がありました。
しかし、現在の県内の有効求人倍率は1を超えています。
(1人の求職者にいくつの求人があるか ざっくり言うと1を超えると、人手不足の状況)
私の周辺でも飲食・介護・保育・建設などなど、ひいては教員まで人手が足りないとの声があります。
なので、それはおかしいのではないか?ということからの質問をさせていただきました。
施策支援を行うために関係団体(商工会議所など)と連携を図るという返事をいただきました。
また、那覇市経済MAGAZINEで課題のお知らせと広報を行う。
協働プラザでの窓口相談、民間資金等の調達マッチング、そしてIT創造館、なは産業支援センターでの人財育成を行い、キャリア形成・キャリア教育にも繋いで行きたいと考えているようです。
まあ、いろいろやるとは言ってますが、私からは既存の企業やその職員に対してのサポートを手厚くして欲しいという要望をお伝えいたしました。
③那覇市には基金というものがあります(家計で言う、目的を定めた貯金です、例えば教育資金を貯めるとか旅行に行きたいのでお金を貯めるとか)
その中でも財政調整基金というものがあり、それはいずれ何か必要になるから貯めておこうという貯金のことです。
の”はじめに”という部分には以下書かれています。
本市の財政は、扶助費の急速な増大が見込まれているほか、学校校舎等の 改築、公共施設の建替えが今後も予定されるなど、財政需要は旺盛であり ます。
さらに、制度的な問題により、ここ数年で急激に悪化した国保累積赤字へ の対応も全力で取り組む必要があります。
一方で、歳入においては、市税収入の増が見込まれるものの交付税等の大 幅な増収は見込めず、歳出の増加に対応できない状況となっています。
このように、本市の財政状況は一段と厳しさを増していますが、将来にわ たって質の高い行政サービスを提供するために、限られた財源を有効かつ年 度間のバランスをとりながら活用していく必要があります。
という状況です。
「但し、これは財政規律を高めるために策定している」という返事をいただきました。
そのことを前提としても
やはり那覇市の財政は厳しいと言わざる得ません。
だからこそPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)のように民間の資金を公共に活用することが必要ではないかと感じています。
この課題と絡めて新文化芸術発信拠点施設(市民会館)については次回にお伝えいたします。
代表質問の項目は3つ、また次でお伝えします。
※1小学校区まちづくり協議会とは小学校区を範囲として、地域で生活する人々が主体的に連携・協力し あいながら、その地域の課題解決に取り組んでいる地域コミュニティのことです。
2月定例会質問終わりました
昨日は2月22日でニャン・ニャン・ニャンということでネコの日だそうです。
那覇市動物愛護議員連盟(通称イヌ・ネコ議連)に加入しておりますので、殺処分に対してしっかりと那覇市も取り組んでいけたらと思います。
現在もTNRという取り組みをしています。
耳先がV字カットされたネコを見たことがあるかと思います。
ネコはかわいいけど、その糞害に困っている人もいますので、殺処分はゼロにしながらちゃんとその人生ならぬ猫生を最後まで全うできるようになれば良いですね。
さて、本日、2月23日で那覇市議会2月定例会の一般質問を終えました。
先日の20日には代表質問の時間をいただきました。
内容はそれぞれ端的に書きますと
代表質問
1.那覇市役所の職員が自治会に入ってる?
2.那覇市の事業者の課題は?
3.那覇市の貯金の取り崩しは大丈夫?
4.新市民会館の意義と事業費はどのように変わってきた?
5.自衛隊と那覇軍港の安全保障上の見解は?
6.中心市街地の商店街や住民達との合意形成はどのようにしてる?
一般質問
1.市長の日程について、東京への活動要請の内容について?
2.市たばこ税が12億7000万も減となるが、そのことについての見解は?
3.のうれんプラザがオープンして3ヶ月になるが、来場者と店子さんの声、那覇市のきづきは?
4.人が亡くなった時の行政手続きをワンストップでしませんか?
ということをお聞きいたしました。
それぞれの内容については、後日お伝えさせていただきます。
国際通りのこと(先輩の挨拶から)
2月7日にあった那覇市国際通り県庁駅前商店街振興組合(長い…)の新年会にて前理事長の浦崎政克さん(89歳!守礼堂会長 お土産品)のお話(乾杯の挨拶)から書き出しました
※若干、年など修正しましたが。
戦前のメインストリートはこちらではなく現在の辻町や若狭、西町、東町あたり。
戦後この国際通りはできたけど、生活がしやすいとかそんなところに人が集まってくるけど、沖縄は違うんです。
ここしか住めなかった。
米軍からここに住めと指定されてこっちに住んだ、そういうまちの始まり、これは72年前の話。
そのあと国際通りは昭和20年の8月15日戦争が終わっても、沖縄の人は捕虜収容所に入れられていた。
開放されたのは昭和20年の11月、初めに開放されたのは、どんな人か想像つきますか?壺屋の陶工の皆様方なんです(※食事をするための器をつくるためだったと聞いています)130名、建築じゃなくてなぜ陶工なのか?話すと1時間で終わらないので、その次は建築の木工の人、それでまちが始まります。
そして昭和22年、高良一さん、すごいガッツの有る方でした。その方が今の文化てんぶす館にアーニー・パイル国際劇場を立ち上げたんです、昭和22年の後半、私は23年に見にいきましたので。
なぜ国際だけでなく、アーニー・パイルが前につくのか?アーニー・パイルとは従軍記者です。伊江島で戦死なさった人。
高良さんが国際劇場という名前をつければアメリカ軍は許可しないだろうと思ったんです。そのときお触れが有りまして、沖縄の人は50名以上集団で集まってはいけないと、そのために劇場となったらアメリカ軍は許可しないだろうと。アーニー・パイルと名前をつけたら許可するだろうとアーニー・パイル国際劇場としたんです。
これが23年からオープンしているんですが、その国際劇場の「国際」をとって国際通りと名付けたんです。これが昭和28年、(国際)大通りから始まって、2年遅れて(国際)本通りを結成しました。
昭和28年(〜31年)ころというのは那覇市が混乱している時期でありました。
市の政治行政の混乱時期でありました。どういう事かと言うと昭和31年に行政主席の比嘉秀平さんがおられましたがお亡くなりになったんです。その時に那覇の市長だった当間重剛さんが行政主席に持って行かれたんです。
そして、那覇市の選挙があった、その時に当選したのが瀬長亀次郎さん。米軍はそれを嫌って那覇市の資金を凍結したんです。那覇市が運営できなくなった、それで那覇市議会が瀬長亀次郎市長の不信任案を出したんです、そして可決された。
市長は1年足らずで那覇市長を追われた。その後に選挙があって兼次佐一さんが当選した。そんな混乱の時に国際通りは大通りを結成し、昭和位31〜2年に国際本通りと言う通りを、今の県庁駅前をやったんです。
そういうところを見ますと戦後はものすごくみんなガッツがあったんですね。戦争で、私も戦争に参加した人間ですので、戦争で生き残った、平和というものを噛み締めながら商売に精を出したのが今の国際通りなんです。
戦前から通りはあったんですよ、牧志街道と言って、五間ですから約9mですが、まっすぐな道が、県庁は戦前からありましたから、安里三叉路まで。それにそって今の国際通りができた。
何度か道路を作り変えまして、今の国際通りができあがりました。今の街路整備が八重山ヤシを植えて、幅員が18m車道が8.5m歩道が4.75mに広げたんです。平成7年、8年でしたかのころ、当時大田(昌秀)さんが知事でした。
通り会役員みんな揃って大田さんのところに交渉に行ったんです、それまでは電線がぶら下がってました。それを電線をどうにか地下に入れてほしい、台風のたびに停電して商売ができないという苦しい時期があったんです。それを大田さんにお願いしに行ったんです。それを動いてくれたのが総合事務局の技官がいたんですが、この人ががんばってくれたんです。
総合事務局の中に25億の地中化事業が入ったんです。その翌年だったか皆さん方の記憶にあるかと思いますが、平成10年に大型店舗の規制が無くなりました。それで郊外に大型店ができて中心市街地がシャッター通りになった。という新聞が出たのはそのあたりです。しかし、国際通りはシャッターが降りなかったんです。1.6Kmの店は。全国にシャッター通りができても国際通りはできなかったんです。
それほど沖縄の人たちはガッツがあったんです。そういうところから立ち上がった国際通りです。そんなところで商売をなさっておられますけど、どうか昔の人たちのガッツもアタマに置きながら頑張って欲しいと思います。ウチの通りは国際本通りという名前でしたけれども、平成15年にモノレールが走りだした。そのために県庁駅前商店街にしようとということで、現在の駅前商店街と名前を変えたわけです。
戦後の話をしますと、1時間で終わりません。このように長々とお話しましたけど、歴史を持つ県都那覇市のメインストリートである国際通りです。そこでの商売をがんばって下さい。いろいろ時代の流れは変わりますけど。観光客900万人余り、しかし売上は6000億、バランスが取れない、人は来てます。商売人のアタマを働かせながら商売がんばりましょう!
という挨拶…僕らはまだまだ知らなきゃいけないですね。
しかし、浦崎会長は89歳!iPadを駆使してFacebookにも投稿するし、ちょっと前まではラジオのパーソナリティもしてた…ガッツあるぜ。
今日は名護のことです
今日は那覇のことではなく、名護のことを中心に備忘録的に残しておきます。
昨日の名護市長選挙についてです。
平成30年2月4日 投開票
▽渡具知武豊(無所属・新)当選、2万389票
▽稲嶺進(無所属・現)1万6931票
で私が応援していた方が当選しました。
私の選挙の時にも話をしていましたが、小さなことの積み重ねがいずれ大きな変化をもたらしたのではないかと。
新聞には基地か?経済か?との見出しが飛び交っておりました。
もちろん、沖縄的には基地については大きな課題問題です。
しかし、生活の中にはゴミの問題、医療の問題、商店街の問題、就労地の問題、生活保護の問題、などなど様々な問題があり、それが全て積み重なっての判断となったのではないかと思います。
特に今回は期日前投票が恐ろしいほどの投票数21,660人!(沖縄タイムス参考)
最終は76.92%(沖縄タイムス参考)と、これまた高投票率!
ちなみに基地問題についてを重視した人が多いということもありました。(沖縄タイムス参考)
普天間の辺野古移設についても、もちろん最終的には全ての基地が無くなることが人類にとって最良であると思うのはみんな一緒ではないでしょうか?
それに向かっての取り組み方法が異なっているだけなのではと感じます。
時間の観念も違う、安全という観念も違う、様々な組み合わせの中で名護の人が選んだ結果を、今回の選挙に少しなりとも関わった立場として今後はちょっと離れた那覇から自分の地域をを磨くために活かしていければと思います。
今年の11月には那覇市長選挙の予定が見込まれており、私も市議会議員という立場で本当に那覇市のことを考え、行動してくれる人が市長となって欲しいと思います。