振り返り その1

いろいろありまして、今年の10月末にそれまでの職を辞し、挑戦したことは皆様もご存知のことと存じます。

この機会にちょっと昔を振り返ってみましたところ、5年前まで書いてたブログ発見(笑)

自分自身で読んでて結構歯切れのよい表現や、当時ガラケーで投稿してたので画像とタイトルだけでなんとか表現してたのがとても新鮮でした。

ぜひ皆様にもご覧いただこうかと思ってurl貼り付けてあります。

http://chinsuko.exblog.jp

33歳の自分が何を思ってたのか、とてもよくわかる!きっと今の自分は想像してない、間違いない!

クリスマスのミッションを終えて、年末に向かうこの時期にだからこその振り返りでしょう。

そういや、Patisserieを畳んでもうすぐ8年になりまして、私が洋菓子作ってたのを信じてもらえませんので、昔作ってたお菓子の写真ちょっとだけ掲載。

ドライフルーツたっぷりのパウンドケーキ

キャラメルとピスタチオのムースの組み合わせ、生地もピスタチオのダコワーズで中にラズベリー入れて、表面を焦がしてキャラメルにしたケーキ

焼菓子、生菓子の中で一番好きだったお菓子です。

X’mas用ケック 006DSCF1317

今年の一文字

今年の一文字は「税」でしたね。

消費増税からの不況感があるため2段目の消費増税を1年半の延長ということで、いきなりの衆議院解散総選挙!!

おかげさまで、私自身の選挙の後にすぐさま先輩の選挙のお手伝いをさせていただきました。

結果は小選挙区での敗北と比例代表での復活当選ということでしたが、人の暖かさや厳しさを知ることが出来て、本当にいろいろと考えさせられるこの下半期でした。

踏み出すということの恐ろしさ、そしてワガママを聞いてくれる周りの人達に対しての感謝(まだ足りないと言われますが…)

今日の話題は私の後輩がやっている居酒屋(絆道http://www.churaguru.net/shop/index.aspx?shop_id=kizunamichi)での話。6年前のオープン以来、お客様それぞれの今年の一文字というのをやっているということで、私も昨年から書いています。

昨年は「振」、なんでそんな文字になったかを思い出して酒の肴にしておりました。結構振り回されたな、今年は振り回したほうだけど(笑)

今年は「解」これまでのシガラミから解かれた気がしますし、また「解」が見つかった気もします。

来年の私はどこまでその「解」に近づいているのかが自分自身楽しみです。

ということで、できることからコツコツとがんばります!

ちなみに写真は様々な選挙で争点となりました辺野古です。きっと沖縄県民のどれだけが、本当に直接この場に来たのだろうか?とても気になります。直接、見て、聞いて、感じたことだけが本当に信じられること。いろんな人と話して、いろんなことを見ていく、そんな年を重ねていきたいと思います。2014-10-16 10.25.23

約束するってこと

今回、選挙に関わると「公約を守らなかった人間には票は預けられない」と言われることがあります。そこはなかなか難しい判断かと思います。

しかし、政治活動の本来の目的は国民(国政)県民(県政)市民(市政)を幸せにすることです。

そこで、特に目まぐるしく変わる国際情勢・国内情勢に臨機応変に対応することで、万が一公約を変えざる得ないこともあるかもしれません。むしろ対応できる能力が政治家には必要だと思います。
(それは会社でも同様です。社員の生活をまもらなければなりません)

そこで、公約を変えた、守ったではなく、私達(全国民)はその公約が本当に今の時勢、情況にあっているのかを考える必要がある。

守ることで、幸せになることもあれば、不幸になることもある。
そこまで考えて投票しないといけないと思います。

だから、公約を守ったが故に変なことになった、なんてことにもなりかねない(だから、ちゃんとした企業は四半期ごとに見直しをしますよねPDCAってやつです)
一年ごとに見直しをして、公表するなどの仕組みを創る必要があると思います←これ今回一番言いたいこと。

ちなみに、今回の選挙では各党、各自が掲げた公約は実現可能なのかも我々有権者がしっかりと考えなければならない。

もっと言うと前回の選挙の時の公約で、辺野古を県外国外、無条件撤去を約束したところも現状全く果たしておらず公約違反と言われても仕方ないかと思います。
ただし、「反対します」というところで逃げているのであれば、公約というものは何なのかを国民・県民・市民の立場で考えないといけないと思います。

(ちょっと古いけどTOKYO五輪の楽しい公約集)

20121222002935

様々な角度から聞いて・見て・感じる・考えること

第47回衆議院議員総選挙が大詰めを迎えてきました。

残す所あと5日(投票日含まず)

様々な方々が、いろいろな訴えをしております。

私も支持者の訴えをする中、「その公約は守るためにあり、破るためにあるわけではない、だから今回は…」という人もいらっしゃいます、もちろん、その話も理解できます。

しかし、情況は刻々と変化していますので、そこに対応していくことも必要ではないかと感じています。

私も企業経営に関わっていた者として、「朝令暮改」でもなく「朝礼朝改」というのもありますし、言ってるそばから「!やっぱり変更」ってことも、もちろんありました。

なぜなら会社全体のことを考えるからです。営業部と話して「これはいい!」と思っても製造部と話をしたら「やっぱダメだ。。。変える!!」ってことも多々あります。

それぞれの立場もありますから、部分最適を考えるのか、全体最適を考えるのか、見ている場所や角度が違うということをしっかりと皆が理解しようとしてもらえたら、いがみ合いも無くなるのではないだろうかと思います。

植木のバランスを取るためには全体を見ないといけない、「木を見て森を見ず」という言葉もあります。だからこそ、広い視野を持たないといけない。多くの情報源を持たねばならない、それも直接見聞きするべきではないでしょうか。ネットの世界だけでもない、新聞やテレビのメディアだけでもない、生の声、直に見て感じることが重要だと思います。

沖縄という地域が良くなるということは、県民としてとても重要であると思いますが、その根幹となっているのは「国」という存在ではないかと思います。

「反対」を声高に叫ぶこと、それも必要です。でないとストッパーがかからない状態になります。そこも理解した上で、本当にこの役目には誰が必要なのかということを自らに問い、行動する必要があります。

私は、この沖縄が良くなるためには、まだまだ「反対」だけではならない、力が足りない。だからこそ、したたかに強く生きるためにはどうするべきか・誰に投票すべきかを考えています。

力強い沖縄となるには振興計画が終わるこの7年が勝負です。さて皆様どうお考えでしょうか?2014-12-06 09.04.16 のコピー

15年ぶりか・・・

昨日の第47回衆議院議員総選挙の公示を終えて、慌ただしく過ごす中、今朝は20代の時に初めてお会いした二人の障がいを持った友人を再び会わせるというつなぎ役をさせてもらった。

2014-12-03 10.21.26 のコピー一人は沖縄県内の企業経営者Mさんと、一人は本土の大学の先生&格闘家Nさん(きっとわかる人にはわかるはずだが)

最初からぶっちゃけトーク全開!!本人達曰く、障がい者の異端だそうな。

20代でこんな人と話しをする機会があったおかげで、障がいを持った人への接し方が大分変わったと思う。

昔は身体が不自由であるにもかかわらず、文字通りみんなで浴びるほど酒を飲んだこともありましたし、氷の中に頭を突っ込んだこともあります。

きっと、周りには虐待!と思われるくらいのことをしていたかもしれません。でも楽しかったからOKだそうです。

当時はNさんはプロレスラー、Mさんはバンドマンという目標から、今や大学の先生やら経営者、僕もパティシエから政治の道へ、人生って不思議なもんです。

話の内容で、Nさんの「博士号を取って大学の先生になると、同じことを行っても受け取られ方が違う」って話をしていた時に、Mさんが「正しいことをしたいなら偉くなるって、ずっと思ってた」と言ったことに昨日のブログの話と繋がった。http://44104.jp/?p=2467 参照

他にも、面白かったのは障がい者にもケガをする権利もある!周りが過保護になりすぎる!水泳教室に行ったら、溺れるのが心配だからダメだとか。野球しようとしたら怪我するからダメだとか。

福祉を追求すると手間がかかることにつながり利益を出すわけではなく、支援者の負担を増やすことになるから、どうにかせねば!

障がい者が厚労大臣になってない! これも沖縄のこと(気持ち)を沖縄の人間として知るひとが基地問題を語る担当になったら基地問題は変わる、なんてことに繋がったりした。

これまで権利を主張してきた障がい者に対して健常者がもっとストレートに言って、ぶつかるべきだということも。

子どものころは親、そして学校では特別支援学級、そんな少人数で生活すると競うこと、争うことがないという守られた中での学校生活。学生時分にバイトをすることもなく社会に出た時に適応できない人がほとんどであるということ。そこをどうするべきか?

スポーツをする方と、見学するときの苦労や、問題点なども会話の中から出てきた(これは次の選挙の政策に活かしていきたいと思います)

かなりドギツイ二人の会話が楽しくて、あっという間の1時間、もっと話を聞いていたかったし、気づいたことを話していたかったが、なにせこの時期であるので、残念ながら終了。

また機会を見つけて話を聞きに行きたいと思います。

しかし、ホントにアクティブな障がい者ってあまり会う機会も少ないので、こんな友達がいることに感謝ですね。きらびやかな生活ではないところだけど、地味〜にスゴイ人って結構いるんだよな。

次々にやってきますね

先月行われた沖縄県知事選挙から現在進行形の衆議院議員総選挙

あれだけ騒がれていた(と私は思っていた)のに
投票率が65%にも届かない。
県内で有権者数およそ40万人が投票に行かない。
36万人が辺野古移設反対
26万人が辺野古移設容認(あくまでも
7万人が県民投票という先送り
1万人は沖縄独立
…40万人はどうでもいい??

一番多いのはどうでもいいって意見ということでしょうか。
いや、きっと、反対しても、賛成してもどうにもならないと思っている方々だと思います。

昨日、ある集会で
「沖縄から「外務大臣」または「防衛大臣」を出すことができれば今の米軍基地の状況は大きく変わるに違いない」
ということを話す人がいました。
まさに、沖縄の実情・気持ちを知る人が日本の中枢に入り込むこと。
そのためには耐えること、堪えることも必要だということでしょう。

反対を唱えるだけでは何も変わらない。
本気で変えることを考える革新的な人こそ、流れに潜み変化の時(それも自分が思い描く変化を!)待つのではないだろうか。

私達より少し上の世代(復帰を挟んむ前後数年の生まれ年)からは、沖縄出身ということをコンプレックスと捉えるのではなく、優位性と捉える人が結構な割合でいるのではないかと思います。
そんな世代から日本の重要なポジションにつく可能性が高い人は誰なのか?を考える。
そんな人がいれば急には変わらないけど、確実に現状を変えてくれるのではないだろうか。
私はその末端でもそこに関わっていきたい。

日本の政治の中心に沖縄の人が関わることができるようになれば、きっと40万人も気持ちが変わるに違いない。

110万人の65%の過半数を取ったから、県民の総意として…なんて、あくまでも勝った側の言い分で、負けた側の言い分はそんなもんなんですよ。
という理解をもって、これから沖縄の政治に関わっていきたいと思います。

負けた人のことを身をもって知った。
良い勉強になった」だけで済まさず、我が身をもって実践していきたいですね

ということで、まとまりのない文面になってしまいましたが、私は様々な想いを込めて

CIMG8492「コクバ幸之助」を応援します。

那覇市議会議員補欠選挙を終えて

先週の日曜日、那覇市議会議員補欠選挙の投開票がなされました。

立候補を決意して36日の間、多くの人に支えられながら突っ走りました。関わっていただいた皆様、本当にありがとうございました。

結果は議席数2の4位で落選ではありましたが、決断して立候補してよかったと思っています。

来年の1月から就任が決まっていた那覇青年会議所の理事長も辞職しましたし、会社も退職しました、のでかなり肩にのっているものが無くなってフワフワしている感じはしますが。どこにでも舵を切ることができるというポジティブな受け取りをして、次に向かって走り出したいと思います。

今回の選挙は本当に自民保守系に対しては暴風と言っていいほどの向かい風でした。

沖縄県知事選挙の争点として「普天間基地問題」が取りざたされ、沖縄県議会議員選挙はそこが争点となってしまいますが、そこに引っ張られる形として那覇市長選挙、那覇市議会議員の選挙もなぜか「普天間の移設」や「オスプレイ」が争点として盛り上がり、公約として「反基地」、「反オスプレイ」、「反普天間・辺野古」という激流に押し流された感じがします。

本来であれば那覇についての考えをもっと取り上げていただく必要があると思います。那覇には多くの問題があります。財政、子育て、教育、介護福祉、年金、生活保護、などなど、数え上げたらきりがありません。那覇市の月刊の広報紙を見るだけでも、かなり恐ろしい感じがします。

財政について、通常の企業経営の感覚をもった方ならばおかしいと思うことは多いと思います。那覇市は特別会計含めると約2000億規模の予算を持っています。実質の収支はマイナス13億円…この中では生活保護費などの医療福祉費の増大が圧迫をしていることが緊急の問題となっています。国保に関する問題もかなり切羽詰まっています。現在の赤字累計額が52億円(平成25年度現在)これがあと4年の平成29年には178億!を試算しているとのこと。どうしても必要な方もいるかと思いますが、働ける人には働き先を作り、自活することができるようになるための仕組み作りをすべきだと思います。70歳まで働ける企業を作った場合は認定企業として企業を経由して生活費の援助を行うなども一つの手段かもしれません。

他に必要としている部分への振り分けをするためにも考える必要があるのではないでしょうか。http://www.city.naha.okinawa.jp/cms/general/PR/paper/2014/stuff/09/04p-naha-9gatugou.pdf

みんな「あれもやる」「これもやる」ということを言って足し算をしたものを公約として掲げますが、原資が無いためできません、という結果になることもあります。そこは企業経営に関わったものとしてしっかりと声を上げていこうと思っていますし、民間としてチェックできるところはやり、知人の議員を通して訴えるべきところは訴える。ということも行っていきたいと思います

那覇市公務員の給与についても国家公務員の基準と比べても変わらないのであれば、国内最低である平均所得との乖離は否めません(本当に仕事ができるのであればいいのですけど、民間から行政に移った知人は「忙しいのレベルが全然違う、もちろん民間が忙しい」と申してました)また人数の削減を行っているということもありますが、民間への委託をしている部門については実質的に大きな削減はなされていないのではないでしょうか?http://www.city.naha.okinawa.jp/cms/general/PR/paper/2014/stuff/10/06p-kouhounaha-10gatu.pdf

子育て・教育問題についても待機児童問題や5歳児の幼保の問題なども山積みです。

那覇には平成25年の4月時点で439人の待機児童(潜在的にはもっと多いでしょう)がいますから。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2014/26pdfhonpen/pdf/s2-3-2.pdf

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141113-00000000-okinawat-oki

土日も関係なく働くサービス業やそこに関わる製造や輸送業に従事する親にはまだまだ行政としての協力が必要だと思います。土曜・日曜・祭日に預けることができれば働ける人も沢山いますから。特にこれまで商店街に関わっているものとしては重要度の高い問題であると思います。

時流を読んでの公約であったり、立候補をする政党などを考えるというのも必要かもしれません。しかし、政策であったり、その人の行動や、その立場(知事・市長・各種議員など)の役割を捉えた上でのビジョンを知って投票をするということこそが、国民、県民、市民として関わる自分の地域の向上に必要ではないかと思います…ってそれを伝えられなかった私がいます(反省)

などなど、本当に政治というものに興味をもっていただくこと、そして多くの人が政治に関わる必要を感じています。ホントかどうかは知りませんが、これから先の4年間は冷え込むという方もいます。

どんなに長くても7年先には振興予算も無くなる(はず)という前提で補助金・助成金に頼らないこの島の生活を作るにはいい機会と考えても良いかもしれません。

行政組織、企業、家庭、個人として各々がしっかりと考えて関わること、行動するきっかけになる選挙でありますよう願いを込めて、そして再起に向けての誓いも含めて、今回の選挙の総括とさせていただきます。補選結果

もうガラガラです

 

2014-10-31 18.21.33

告示前なのにガラガラです、声が。

先輩方からは「早すぎ!」と叱られております。

もう少し喉を鍛えないといけませんね。

話したいことも声がでないと伝えられません。

今日は早めに帰宅して暖かくして寝ようと思います。

しかし、本当に家族や友人達の暖かさが身にしみます。

後援会長のお力添えで、ご支援いただきました。

しっかりと医療についても学んでいきたいと思います。

酒の場にて

先日の酒席にて(詳細はあやふやなのですが、大筋は変わりません)

Dr.Yさん「あなたは日本人だと思いますか、思いませんか?」

私  「・・・・」

Dr.Yさん「考えた時点で、何かしらの疑問を抱いています」

Dr.Yさん「そのために、それらしい理由を探して話しているだけです」

という話。

酒を飲んでいたこともあり、「ん…」と考えさせられ

ぱっと、西銘順治元知事の「ヤマトンチュ(日本人)になりたくて、なりきれない心であろう」という言葉が思い出された。

が、今朝、改めて考えると、「思うか、思わないか」に詰まってしまったのは、

僕は産まれた時から日本復帰も済んでいたので

元から「日本人」なのだよな、だからこそ考えたことがなかったのではないか。

琉球という国・地域にルーツは持つけれども、「何人?」と聞かれたら「沖縄人」とは言わないだろうし。

などと寝不足の朝から考えさせられております。

 

もう一つの話題

個(パーソナル)と集合(マス)を混同して語ってはいけない。

たとえば、医者(Dr.Yさんはお医者さん)はエビデンス(証拠)を重要視する。

Aさん、Bさんと同じ病気である。

この病気にはある処方が効果があると言われている。

Aさんには効くが、Bさんには効かない。

なのでBさんには全く意外な治療をすると、その病気が完治した。

しかし、Bさん以外にはほとんど効かない。

まずはマスの処置をすることが前提とはなってしまうが、「個」の持つ情況は違うのはもちろんのことである。

ということは同じ問題でも処方の仕方は「個」によって違う。

医学も政治も同じように「個」に対応すべきである。

日本>沖縄>名護>辺野古ではない。

一つ一つの全てが「幸福:もしくは不幸でない」という情況を作らねばならない。

A(普天間)という場所とB(辺野古)という場所で、ある事象(事故)が起こる確率は場所が移動することで変わるものではない。

ならば結局、落ちる確率が変わらないのであれば、どっちに置いても一緒だ。

また、事故率を旅客機との対比をする方がいるが、それなら那覇空港を含め都市に近い空港は普天間より先に閉鎖する必要があるのではないか?

だから確率論で話をしてはいけない。

そして、AでやってたことをBで行うことに対して、それが起こった時に影響が大きいか、小さいかということを問題とするのであれば、その影響を受ける「個」について満足をさせなければならない。

なぜなら自分がその「個」であったなら、その影響を甘んじて受けるのだろうか?

政治家に投票をするのは「個」である、だからこそ「個」対して真摯に向かい合うことが必要だということも考える必要がある。

だから「被害の数字の大きさ」だけで話してはいけない。

最大多数の最大幸福ということを考えてしまいがちではあるが、そこに「不幸でない」という選択もある

政治とは論理的な部分だけで解決するのではなく、感情が大きく渦巻くところである。

特に個人の権利を認めている民主主義の中では、全てに「不満を抱かさない」ということは難しいけれども「不幸ではない」というところに持って行くことは権限の発動を含め行うべきではないだろうか。

衣食住を最終的にすべての人が「不幸ではない」ことにするのが政治=会社=生活の役割である。

(もちろん「今」の人も大切です)

という根っこの部分を話してくださったDr.Yさんありがとうございました。

もちろん、いろいろな考えがあって然るべきだとは思いますが。

なんだか難しい話になってしまったけれども根本は「その立場」での関わる範囲の人々の衣食住を満足させることが重要だということ。

私も関わる社員に対してしっかりと満足してもらえるようにせねばな〜

さんきゅ〜(39歳)

ということで、2014年8月14日、39歳を迎えました。

久々に自宅でゆっくりと過ごし、昭和50年8月14日に生を受け、これまで何をやってきたのだろうと物思いに耽る時間を持ちました。

最近Facebookはソフトにと言われているので、あそこは少しソフトにして、ブログできっちりと気になってるトピックスに対しての意見や、日頃の考え方をきっちりと書いていこうと思いまして。

復帰一発目は最近やっと読了した本について

友人からススメられて読み始めたのですが、何度か行っては戻りを繰り返し3ヶ月ほどカバンに入ってました。

中国化する日本 増補版 與那覇潤 著

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yonahajun/20130831-00027396/

(アマゾン貼り付けるのいやだったので、著者の投稿をリンクしておきます)

與那覇という苗字ですが、神奈川県出身とのことですが、もちろん沖縄に縁はあるのでしょう。

決して中国礼賛ということではなく、その仕組について史学的に分析・解説しているのでとてもおもしろい。

中国化=郡県制 政治は皇帝の元で中央集権的、実力主義の市場経済主義

江戸化=封建制 将軍という一応のまとめ役はいるものの 藩ごとに世襲があり、土地に縛られている「イエ・ムラ社会化」している状態

ってな感じで歴史学者の目から中国化と江戸化という2極から日本の流れと世界の流れを歴史に沿って現在の政治・経済にまで説明しているのがとても面白く、こんな切り口があるんだ〜と

明治維新やそこに関わった偉人(と言われている人達)の見方が変わってしまった!

また、大東亜戦争についてや、軍部の行ってきたことが「ほほぉ」って感じでした。

そして、現在の政局から非婚・少子化、福祉や辺野古についてまで。

琉球という国について考えた時、本当に中国の影響を受けているものの、江戸期のような封建的にもなっている不思議な地域なのだと再認識です。

てな感じで、これからブログ再開します。